会長挨拶
会津稲門会会長
笹内紘司(早稲田大学商議員)
早稲田大学は今から134年前の1882年(明治15年)に大隈重信候により東京専門学校として創立されました。以来、官学に対する「私学の雄」として、「学問の独立」を基礎に「進取の精神」「在野の精神」「東西文明の調和」の理念のもと、長い道のりを歩んできました。こうした伝統を踏まえ2012年には世界の大学教育をリードする「ワセダビジョン150」を掲げました。
そのビジョンとは
1.世界に貢献する高い志を持った学生
2.世界の平和と人類の幸福の実現のために貢献する研究
3.グローバルリーダーとして社会を支える卒業生
4.アジアの大学のモデルとなる進化する大学
であります。
平成27年、早稲田大学会津稲門会創立90周年を迎えることが出来ました。会津稲門会は大隈重信候が亡くなってから3年後の1925年(大正14年)、会津在住の先輩たちによって組織されました。
当時は「バルトの楽園」で有名な徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所所長だった松江豊寿さんが第9代若松市長を務めていました。市長を1期で辞めた後は会津弔霊義会専務理事として飯盛山の白虎隊墓地広場を整備拡張しています。そんな時代でした。稲門会といっても、会則もなければ、役員を決めていたわけでもありません。明治41年卒業の五十嵐清さんや森惣兵衛副会長のおじい様で大正14年3月に卒業し会津に帰郷された森英四郎さん、須貝富次さんらが中心となって、時折集まりを持っていたというように聞いています。
今から61年前の昭和30年(1955年)発行の早稲田大学会津人会名簿に会津在住の卒業生147名の名前が載っています。役員欄には若松支部長が五十嵐清、幹事長菊地三芳、喜多方支部長井上清治とあり、東京といっしょに活動していたようです。
会津校友会の総会は、私が出席するようになった在学中の昭和39年以前から毎年8月17日に大学の総長を招いて東山温泉「向瀧」で開催していました。東山芸妓といっしょに盆踊りの輪に加わったことも艶やかな楽しい思い出です。昭和41年に佐藤榮一さんが会長に就任されると、福島トヨペットさんが事務局を引き受けて下さいました。昭和51年に同窓である松平勇雄さんが福島県知事に就任してから間もなく、会津校友会が中心となって、福島県支部を設立しました。佐藤榮一会長には県支部設立当初から平成19年にお亡くなりになるまで、長きにわたって福島県支部長を務めていただきました。
現在の会津稲門会は毎月23日に月例会を開いている他に、夏の総会、新年会などを開催して、会員の親睦を深めています。慶応義塾大学会津三田会様とは毎年早慶ゴルフ大会とそのあとの懇親会を通じて交流してきました。今年で28年になります。同窓である衆議院議員の菅家一郎さんが会津若松市議会議員時代から、若手会員が中心となって毎年1月10日の初市「十日市」にチャリティバザーを開き、売上げ金の一部を会津若松市に寄付をするといったことも実施してきました。数年に1回は男声合唱団早稲田大学グリークラブの会津若松公演も主催してきました。
私は佐藤榮一先輩、平田昇先輩の後を受け継いで、3年前の平成25年8月から会長を務めておりますが、これも母校への恩返しと思っております。
結びになりますが、私たち会津稲門会は在校生に負けず、母校を愛する熱い心と早稲田大学らしい在野の精神を持ち、地方創生のために、少しでも地域社会に貢献できるような活動をこれからも継続してまいりたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
笹内紘司(早稲田大学商議員)
早稲田大学は今から134年前の1882年(明治15年)に大隈重信候により東京専門学校として創立されました。以来、官学に対する「私学の雄」として、「学問の独立」を基礎に「進取の精神」「在野の精神」「東西文明の調和」の理念のもと、長い道のりを歩んできました。こうした伝統を踏まえ2012年には世界の大学教育をリードする「ワセダビジョン150」を掲げました。
そのビジョンとは
1.世界に貢献する高い志を持った学生
2.世界の平和と人類の幸福の実現のために貢献する研究
3.グローバルリーダーとして社会を支える卒業生
4.アジアの大学のモデルとなる進化する大学
であります。
平成27年、早稲田大学会津稲門会創立90周年を迎えることが出来ました。会津稲門会は大隈重信候が亡くなってから3年後の1925年(大正14年)、会津在住の先輩たちによって組織されました。
当時は「バルトの楽園」で有名な徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所所長だった松江豊寿さんが第9代若松市長を務めていました。市長を1期で辞めた後は会津弔霊義会専務理事として飯盛山の白虎隊墓地広場を整備拡張しています。そんな時代でした。稲門会といっても、会則もなければ、役員を決めていたわけでもありません。明治41年卒業の五十嵐清さんや森惣兵衛副会長のおじい様で大正14年3月に卒業し会津に帰郷された森英四郎さん、須貝富次さんらが中心となって、時折集まりを持っていたというように聞いています。
今から61年前の昭和30年(1955年)発行の早稲田大学会津人会名簿に会津在住の卒業生147名の名前が載っています。役員欄には若松支部長が五十嵐清、幹事長菊地三芳、喜多方支部長井上清治とあり、東京といっしょに活動していたようです。
会津校友会の総会は、私が出席するようになった在学中の昭和39年以前から毎年8月17日に大学の総長を招いて東山温泉「向瀧」で開催していました。東山芸妓といっしょに盆踊りの輪に加わったことも艶やかな楽しい思い出です。昭和41年に佐藤榮一さんが会長に就任されると、福島トヨペットさんが事務局を引き受けて下さいました。昭和51年に同窓である松平勇雄さんが福島県知事に就任してから間もなく、会津校友会が中心となって、福島県支部を設立しました。佐藤榮一会長には県支部設立当初から平成19年にお亡くなりになるまで、長きにわたって福島県支部長を務めていただきました。
現在の会津稲門会は毎月23日に月例会を開いている他に、夏の総会、新年会などを開催して、会員の親睦を深めています。慶応義塾大学会津三田会様とは毎年早慶ゴルフ大会とそのあとの懇親会を通じて交流してきました。今年で28年になります。同窓である衆議院議員の菅家一郎さんが会津若松市議会議員時代から、若手会員が中心となって毎年1月10日の初市「十日市」にチャリティバザーを開き、売上げ金の一部を会津若松市に寄付をするといったことも実施してきました。数年に1回は男声合唱団早稲田大学グリークラブの会津若松公演も主催してきました。
私は佐藤榮一先輩、平田昇先輩の後を受け継いで、3年前の平成25年8月から会長を務めておりますが、これも母校への恩返しと思っております。
結びになりますが、私たち会津稲門会は在校生に負けず、母校を愛する熱い心と早稲田大学らしい在野の精神を持ち、地方創生のために、少しでも地域社会に貢献できるような活動をこれからも継続してまいりたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。